心がけたいこと
最近Abemaの議論動画を視聴することが多くなったが、思うことが一つある。
誰かが話している時に横から割り込んでくる人がいると観ている側としても滅茶苦茶イライラするということだ。
人の振り見て我が振り直せ。自分も相手が話している時は最後まで聞いて、相手のターンが終わってから話すようにしたい。
SNSを変えたところで
Twitterが大きく制限されることになり、SNSの移動を検討している人をよく見かけるようになった。
個人的にはSNSを変えたところでいずれ同じ問題に直面すると思う。
今回の制限の目的は外部からのスクレイピング対策とのことだ。つまり、Twitterには有用なテキストデータが蓄積されているからこそ狙われた。これは仮にSNSを変えたとしても、変えた先でデータが蓄積されればそこが狙われることを意味している。
しかし、仮に有料化したところでそのアカウントからスクレイピングができることには変わりないので、閲覧制限は何かしら設けられるような気がする。
とはいっても、(人間の手では不可能だろうという量)ツイート/秒 みたいな感じになるとは思うが。
今まで通りに使えるようになるまでまだ時間がかかりそう。
デスクについて
今のデスクはこれを3年ほど使っている。
組み立て後は興奮していたのもあって満足していたが、ここ最近わかったことがある。
デスクラックが邪魔だということに。
腕をデスクに乗せて作業をするタイプなので奥行が大きく損なわれるデスクラックは非常に邪魔だという結論に至った。
macbookで作業する場合は画面を見るために首に相当な負担がかかる。
デスク自体も、当時は横幅が広い方がいいと思っていたので一番広い120cmのものを購入したが、結局持て余している。また、部屋のスペースの都合上、壁に向けてデスクを配置せざるを得ないので足の収まりが非常に悪い。
そのため、デスクラックをつけるならば奥行が後30cmは欲しい。
以上のことから、自分が作業するにあたってちょうどいいデスクは、"作業に使える奥行"が60cm以上あることが挙げられる。
今のデスクでそれを実現するには、デスクラックを外してモニターアームを使用することになる。だが、今載せているCDやゲームパッケージ類をどうするか...。
ゲームのパッケージ、捨てるに捨てられない...。
作りたいと思ってるアプリ
Twitterの例の騒動を受けて思いついたわけではなく、前々から思っていたことではある。
Twitterが特に優れているなと感じるのは凄まじくお手軽に投稿が出来る点。これのおかげで毎日何かしらツイートすることを継続できていると言っても過言ではない。
ただ、同時に惜しいと思っているのは、例えFF0で非公開にしていてもツイート自体はTwitterのサーバーに存在するという点だ。つまり完全に秘密ではない。
そこで自分の端末のみで完結する完全オフラインのTwitterを作ってしまえばいいのではと考えた。まぁつまりは日記アプリである。
日記と捉えるとちょっとそれっぽいことを書かなければいけないなという心理的ハードルが生まれる。これまでブログをあまり継続できなかったのも、ブログで書けばいいネタを片っ端からツイートとして吐き出してしまうからだ。
このお手軽さを日記アプリとして再現してやればそれだけで継続しやすい日記アプリができるのではなかろうか。
1人で取り組み続けるのは難しい
浪人時代もそうだったが、一人で何かに取り組み続けるのはとても難しい。
...より正確に言えば、『誰とも会話せず』一人で取り組み続けること か。
これも外部からの刺激がないことが原因なのだろうか。
前職でも同期達と違って単独で作業することが多かったし、同期と一緒に作業することもなかった。競争相手すらいなかった状態だ。
独りは好きだが、独りで作業するのは得意ではないのかもしれない。
上達の実感
最近はキャベツをちょくちょく買っては千切りにしている。
せっかく一人暮らしで好きに調理できるのだから包丁の扱いくらい上手くなりたいと思ったのがきっかけだ。
初めは指を切りそうな恐怖でザクッ.........ザクッ........みたいなテンポでしか切れなかったが、ここ最近はトン..トン..トン..トンと比較的テンポよく千切りが出来ている。
食材を抑える手の指と包丁の側面を常にくっ付けておくことを意識していたら指を切る恐怖心もだんだん薄れてきた。
慣れてきた辺りが一番指を切ると思うのでこれからも気を付けて練習していきたい。
AI生成物の規制について
生成AI、とりわけ画像について規制対象とするサイトが出始めている。
個人的には規制する方針には賛成である。
モデルの作成には学習データが必要だ。巷で幅を利かせているモデルがどのようなデータを学習しているかは知らないが、おそらくpixivのような公開されているデータを収集していることは想像できる。
AIが生成したイラストは指の数や形がおかしかったり、腕が別の場所から生えていたりと、とりわけ人体の描画は苦手としている部分がある。これらの生成画像もpixivには普通に公開されているが、もしこれらの間違った画像を学習してしまったらどうなるだろうか?間違った情報を学習し続けるのだから間違った画像を出力し続けることになる。そのループに入ってしまえばモデルの精度は低下する。同じことがこの記事でも指摘されている。
これを防ぐには「正しいイラスト」を学習させなくてはならない。つまり、間違った画像は公開するべきではないということだ。
消費する側としてもそのようなコンテンツに金を出す気にはならないし、違和感が気になってそのコンテンツには満足できないだろう。
モデルを開発する側も、質の低い画像を学習させてしまうリスクを減らせる。
AI生成物の公開を規制することは、モデル開発側、消費者側双方に益のあることだ。
ここで損をするのはAI生成物で一時の小銭稼ぎを画策していた連中だけだろう。
本職の人間がAIを利用し、それに手を加えることで初めてAI生成物に価値が生まれる。